開催: 2012年12月1日(土)
会場: 東外大本郷サテライト

              講演会場

松島義隆氏

講演概要

 関東には「氷川神社」が多い。さいたま市大宮区にある武蔵国一宮の氷川神社をはじめ、239社もある(神社本庁登録)。氷川神社の由来を見ると「創立は第五代孝昭天皇の御代……出雲国、氷の川上に鎮座する杵築大社を遷して氷川神社の神号を賜る」とあり、「祭神は、出雲国の祖神である須佐之男命(素戔鳴尊)、稲田姫、大己貴命の三柱……神紋は八雲紋で、これは須佐之男命の御神詠『八雲立つ出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』に由来する」としている。「氷の川」は、その昔、川上で須佐之男命が八岐大蛇を退治したといわれる出雲(島根県東部)の大河「斐伊川」(全長153km)のこと。

 氷川神社は東京にも赤坂などに68社あるが、小石川植物園の西隣にあった氷川神社は、大正年間、社名を「簸川神社」に変えた。十五代続く宮司さんに聞くと、曽祖父の代に学者の意見を聞いて改名した、という。確かに、由来となった川の名は「肥の河」(古事記)、「簸の川」(日本書紀)と、当て字が多い。地元の出雲では「斐川」「簸川」の名は地名に残るが、「氷川」の表記はあまり見かけない。当時の宮司さんは、日本書紀の表記に従ったのだろう。ただ、この簸川神社(旧小石川区)付近は江戸時代から「氷川下」の地名で知られており、町内会の名は今でも「氷川下町」である。

 さて、「氷川」に因んだ名に「八雲」がある。

 東京都目黒区に区立「八雲小学校」がある。明治7年、「小学八雲学校」として開校。同区で最古の小学校である。校名の由来は、すぐ隣に「氷川神社」があったこと(今もある)。「学校のあゆみ」を見ると「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに……この歌は氷川神社に祭られている須佐之男命がつくられた歌です。校名の『八雲』は、ここからとってつけられました」と、児童にも分かりやすく解説してある。この小学校の所在地は「目黒区八雲2丁目」。町名は、小学校の名に因んで後からつけられたという。

 校長、副校長さんに話を聞くと、八雲小学校では全国の同名の小学校2校と交流がある。一つは、島根県松江市立八雲小学校。もう一校は、北海道八雲町立八雲小学校。松江市の方は、出雲の地元だから分かる。北海道の方は、「?」と思われるだろう。ここの「八雲町」の由来については、小生が札幌に転勤していた約20年前、同町に聞いたことがある。今回、もう一度確かめたが、それによると――明治時代、この地に開拓に入ったのは名古屋藩士。新しい土地の地名を付けるにあたって、故郷に因む名を考えた。名古屋で一番、尊崇を受けているのは「熱田神宮」。ここのご神体は三種の神器の一つ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=別名草薙剣。そして、この剣を八岐大蛇の尾から取り出したのが須佐之男命。その須佐之男命が詠まれた歌が「八雲立つ……」だから、開拓した町名を八雲町と付けた、というのである。部外者には、ちとややこしい話だが、そういう経緯らしい。

 須佐之男命を祭った神社は、氷川神社以外にも多い。京都には八坂神社があり、「八雲神社」も全国各地にある。東京では、根津神社(文京区)、須賀神社(杉並区)、牛嶋神社(墨田区)などの祭神も須佐之男命である。

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  日本最古の史書である古事記、そして日本書紀によると、須佐之男命は天照大神の弟だが、乱暴を働いて高天原を追い出され、出雲に行く。そして娘婿(「六世の孫」説も)の大国主命が造り上げた葦原中国が天照大神の孫に譲り渡される(国譲り)。その子孫である神武天皇が日本国の初代天皇。神武天皇の即位は紀元前660年という。日本では昭和15年(1940)、紀元2600年を盛大に祝った。ただ、日本書紀には、須佐之男命は出雲に行く前、新羅に行った、と書かれている。新羅は古代朝鮮にあった国で、世界史年表によると、西暦356年に建国、935年に滅亡した。須佐之男命が新羅に行ったとすると、この年代の間ということになる。一方、神武天皇は、天照大神から数代後の子孫である。天照大神の弟の須佐之男命が生きていた時代より千年以上も前に、日本国を統治することが可能なのか???

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 須佐之男命は渡来系の神ともいわれる。関東地方に祭る神社が多い、というのは、その昔、半島などから渡来してきた人が、この地で一定の勢力を得ていた証かもしれない。埼玉県の高麗神社とその周辺は、渡来した経路がはっきりしている例であろう。そして、須佐之男命の特異性は、彼が詠んだ「八雲立つ…」の歌にある。古今和歌集の仮名序で、紀貫之が「すさのをの命よりぞ、三十文字あまり一文字はよみける」と記したように、これが日本最古の和歌なのである。記紀にある神々が実在したかどうかは定かでないが、この歌だけは、1300年以前に詠まれて今に伝わっている。その絶大な存在感! 

 なお、「八雲立つ…」の歌については、吉本隆明が「共同幻想論」の中で、三角寛の研究を引用して「サンカの社会では『妻ごみ』」は『婦女暴行』、『やえがき』は、それを禁じる『掟』。この歌は、それまでの一夫多婦(乱婚)を禁じて一夫一婦制度の掟を作った、ことを表したもの」という解釈を紹介している。

 長々と話しました。今年は古事記の編纂から1300年。来年は、出雲大社(60年に一度)、伊勢神宮(20年に一度)で遷宮がある。本日12月1日は旧暦では神無月18日。出雲に集まった神々がそれぞれの地に帰られるころ。来年は、少しはましな世の中になりますように。皆様、よいお年を!  

以上

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